18個のバイアルが前後にキューキュー音を立てながら揺さぶられている。マーク・ライテは興奮していた。彼は、隣にいるテクニシャンにこういった。「今日、新しいサンプルが届いた。新鮮なまま凍結したものだ」

それぞれのバイアルには、サルの糞の小さな塊が入っている。このサルの糞はウイスコンシン州マディスンにあるハーロー霊長類研究所で集められ、テキサステック大学のライトの研究室に送られたものだ。

ライテの興味は糞にあるのではなく、そこに含まれる隠れた生き物にある。すべての脊椎動物と同じように、サルの消化管には無数の腸内細菌が住み着いている。脊椎動物の表面と体の中に住むバクテリアは、数百兆個にもおよび、重さは約3kgにも達する。一般に、生き物に住み着くすべてのバクテリア(しばしば微生物ともいう)の遺伝子を「マイクロバイオーム」と呼んでいる。

マーク・ライテ博士

このバクテリアは私たちの腸内の単なる同居者というよりも、ある種の「臓器」のように働く。このバクテリアにようやくサイエンスの光が当てられ始めた。

ライテは、ある目標を掲げてずっと研究を続けてきた。その目標とは、腸内細菌が物質を通して脳とコミュニケーションをとることを証明すること、しかも、この物質は、脳内でメッセージを伝える物質と同じであることを証明することの2つである。

ライテはやや身をかがめ、バイアルを手に取り、サンプルをじっと眺めた。このサンプルは、光り輝く金色の液体の中で遠心分離され沈殿したものである。

ライテは、こういう。「私たちが糞から何を抽出しているか、想像できないでしょう。腸に住むこれらのバクテリアが伝達物質をつくる。以前、私たちはこのことを知らなかった。この物質が脳に影響を及ぼすのか? 私たちヒトも脳内で同じ物質をつくっている。これらの物質を介したコミュニケーションが私たちの行動に影響を及ぼすのかもしれない」

2007年、ヒトに存在するすべての微生物をカタログ化する「ヒトマイクロバイオーム・プロジェクト」が発表されてから、微生物がヒトに影響及ぼすことを示す論文が洪水のごとく発表されるようになった。

腸は食べ物を分解し、ビタミンをつくる。そこに特定の微生物がいるか、いないか、また、その割合が、肥満、炎症性大腸炎(IBS, irritable bowel syndrome)を引き起こすかどうか、あるいは、処方薬が有毒な副作用をあらわすかどうかに関係している。

 

今、生物学者は、ヒトを形作る多くのものが微生物に依存すると信じるようになった。ヒトの腸内に住む微生物には約200万個の遺伝子があるが、ヒト遺伝子はわずか2万3,000個に過ぎない。腸内細菌の遺伝子数はヒト遺伝子数の200倍もある!

NIH(米国立衛生研究所)のトム・インセル部長は、こういう。「DNAの観点からいえば、私たちはヒトというより微生物だ。これは現象的なものだが、ヒトの発達を考える際に真剣に考慮すべきことだ」

バクテリアがヒトの生理に影響を及ぼすことが理解されるようになったことから、科学者はバクテリアが脳に影響を及ぼすことに注目するのは、驚くことではない。

腸内の微生物が、多くの物質を作る。たとえば、ドーパミン、セロトニン、ギャバなど。ライテをはじめ、科学者は、これらの物質が脳内でのコミュニケーションに使われ、私たちの気分を変えるものと同じ物質であることを知っている。さらに、これらの物質が腸内の問題だけでなく、うつ、不安といった脳の問題にも関係しているようなのだ。

ノルウエーの科学者が55人の糞便を調べ、あるバクテリアがうつに関係していることを発見した。今、ライテの研究室では、ある種の腸内細菌が脳に影響を及ぼす薬となっていることを確認しているところだ。幼児期の猿の糞中に心を変えるいくつもの物質が発見された。彼はそのリストを作成中である。

これが完成したら、新生児サルの微生物を他のサルの腸内に移植する計画である。微生物を受け取ったサルは、まったく異なる腸内細菌を持つことになる。

もしすべてが彼の計画通りに進めば、サルの脳の発達プロセスを変えられるはずである。この実験は興味深い仮説を反映している。それは、不安、うつ、自閉症、ADHDなど小児性の障害は胃腸障害に密接に関連しているということだ。

微生物を移植するというのは、脳に傷をつけることが避けられない手術とは異なる。ここがポイントだ。患者のバクテリアを変えるのは難しいことだが、遺伝子を変えるよりは容易なのだ。

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