念願だった長崎市を訪ねました。原爆によって太平洋戦争では長崎で7万人もの命が短時間のうちに失われました。しかし、爆心地に近い場所で被曝したにもかかわらず、死を免れた人たちがいました。その実体験を、秋月辰一郎(あきづき たつ いち ろう)医師が『長崎原爆記』(平和文庫)で詳しく述べています。

当時、秋月さんは長崎市の浦上(うら かみ)第一病院の医長として勤務していました。菜食主義者だった秋月さんは体質改善のため、被曝する1年前から患者と病院関係者すべてに「玄米、野菜食、ワカメの味噌汁」を勧めていました。逆に摂ってはいけないのが砂糖でした。これを「秋月式栄養療法」と名づけました。

 

この続きは「はつらつ元気」2019年10月号をご参照ください。